パンデミックで直面する労働問題|事業主の皆様へ
新型コロナウイルスやインフルエンザといった感染症のパンデミック(世界的大流行)は、私たちの社会に計り知れない影響を与えました。
特に、事業を運営されている経営者や人事労務担当者の皆様にとっては、日々先の見えない不安との戦いだったのではないでしょうか。
「従業員の生活と健康を守りたいが、会社の経営も非常に厳しい」
「感染者が出た場合、法的にどう対応すればいいのか分からない」
「売上減少で、やむを得ず雇用調整を考えなければならないが、何から手をつければ…」
このようなお悩みは、決してあなた一人だけが抱えているものではありません。多くの中小企業の経営者が、前例のない事態の中で、従業員と会社双方の未来を背負い、難しい判断を迫られています。
この記事は、そんな事業主の皆様が直面する労働問題について、法的な観点から具体的な対策とリスク回避の方法を分かりやすく解説するものです。
一人で抱え込まず、まずは正しい知識を身につけることから始めましょう。この記事が、皆様にとっての確かな道しるべとなれば幸いです。
まず取り組むべきこと:従業員と事業を守る感染拡大防止策
パンデミック下で事業主が最初に取り組むべきことは、従業員と事業そのものを守るための感染拡大防止策です。
これは単なる推奨事項ではなく、法的な義務にも関わる重要な取り組みです。なぜなら、事業主には従業員に対する「安全配慮義務」が課せられているからです。
事業主の「安全配慮義務」とは?
安全配慮義務とは、労働契約法5条に定められた「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする」という事業主の義務のことです。
パンデミック下においては、この義務は「従業員を感染症のリスクから守るための措置を講じる義務」と具体的に考えることができます。例えば、以下のような対策が挙げられます。
- 職場でのマスク着用や手指消毒の徹底
- 換気の実施や、パーティションの設置
- 体調不良時の報告・相談体制の整備
- テレワークや時差出勤の導入検討
- 感染症に関する正確な情報の提供
もし、事業主がこれらの対策を怠り、その結果として従業員が感染してしまった場合、安全配慮義務違反として損害賠償請求のリスクを負う可能性もゼロではありません。
従業員と会社を守るためにも、実効性のある感染防止策を講じることが極めて重要です。
テレワーク導入と労働時間管理の注意点
感染防止策として有効なテレワークですが、導入にあたってはいくつか法的な注意点があります。特に問題となりやすいのが「労働時間の管理」です。
オフィスでの勤務と異なり、従業員の労働時間を正確に把握することが難しくなります。そのため、パソコンのログ管理や日報の提出など、客観的に労働時間を管理できる仕組みを整える必要があります。
安易に「みなし労働時間制」を適用すると、後々残業代の未払い問題に発展するケースもあるため注意が必要です。
また、テレワークに必要な通信費や光熱費の負担、使用するパソコンのセキュリティ対策など、事前にルールを定めておくべき項目は多岐にわたります。これらのルールを明確にするために、就業規則にテレワークに関する規定を新設・変更することも検討しましょう。
従業員の休業命令|休業手当の支払い義務と判断基準
パンデミック下で事業主の皆様が最も頭を悩ませるのが「休業」に関する問題ではないでしょうか。「従業員を休ませるべきか」「その場合、給料(休業手当)は支払う必要があるのか」という判断は非常にデリケートです。
ここでは、具体的なケースごとに法的な考え方を整理します。
ケース1:従業員が感染・発熱した場合の休業
一般に、従業員本人が疾病により労務不能な場合は使用者の責に帰す事由に当たらないため、労働基準法26条に基づく休業手当の支払義務は原則として生じません。
ただし、就業規則や労働協約、企業の病気休暇規定等で給与支給が定められている場合や、復職支援等の対応が必要な場合は別扱いとなるため、まずは就業規則等をご確認ください。
また、従業員は健康保険の被保険者であれば、要件を満たすことで「傷病手当金」を受給できる可能性があります。
従業員の生活を守るためにも、会社として傷病手当金の申請手続きをサポートするなどの配慮を示すことが、信頼関係を維持する上で大切です。
ケース2:事業者の自主的判断による休業
「社内で感染者が出たため、他の従業員も念のため休ませたい」「地域の感染状況を鑑みて、一時的に事業所を閉鎖する」といった、行政からの休業要請などに基づかない、事業主の自主的な経営判断で従業員を休業させる場合は、状況が異なります。
この場合、その休業は原則として「使用者の責に帰すべき事由による休業」と判断され、労働基準法26条に基づき、会社は休業させた従業員に対して、少なくとも休業手当(平均賃金の60%以上)を支払う義務が生じます。
ただし、就業規則や労働協約での定め方によっては賃金全額を支払わなければならない可能性がありますので、注意が必要です。
「不可抗力だった」と主張しても、例えば「原材料の仕入れが困難になった」といったケースでも、それが経営上の障害に過ぎないと判断されれば、休業手当の支払義務を免れることは難しいのが実情です。
休業手当の支払いを支援する「雇用調整助成金」とは
自主的な休業で休業手当の支払いが必要になった場合、事業主の負担は決して小さくありません。その負担を軽減するために設けられているのが、国の支援制度である雇用調整助成金です。
これは、経済上の理由により事業活動の縮小を余儀なくされた事業主が、労働者に対して一時的に休業などを行い、労働者の雇用の維持を図った場合に、休業手当の一部を助成する制度です。
パンデミックの際には、要件の緩和や助成率の引き上げといった特例措置が講じられることもあります。
ただし、申請手続きは複雑な側面もあります。どの経費が対象になるのか、必要な書類は何かなど、不明な点があれば社会保険労務士などの専門家に相談することも有効な手段です。
経営悪化による雇用調整|違法にならない解雇・雇止めの進め方
パンデミックによる売上減少が深刻化し、残念ながら人員削減を検討せざるを得ない状況に追い込まれる事業主の方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、安易な解雇は「不当解雇」として法的な紛争に発展し、企業にとってさらに大きなダメージとなるリスクをはらんでいます。
特に、経営不振を理由とする解雇(整理解雇)が法的に有効と認められるためには、厳しい条件をクリアする必要があります。
「整理解雇」が有効と認められるための4つの要素
裁判所は、整理解雇の有効性を判断する際に、主に以下の4つの要素を総合的に考慮します。これらは「整理解雇の4要件(要素)」と呼ばれています。
- 人員削減の必要性
客観的な経営指標などに基づき、人員削減をしなければ経営が立ち行かないという、高度な必要性が認められるか。 - 解雇回避努力義務
解雇という最終手段を回避するために、役員報酬の削減、新規採用の停止、希望退職者の募集、配置転換など、あらゆる手段を尽くしたか。 - 人選の合理性
解雇対象者を決める基準が客観的・合理的であり、その運用が公正であるか。(例:勤務態度、成績、会社への貢献度など) - 手続の相当性
解雇の必要性や時期、規模、方法について、労働組合や従業員に対して十分に説明し、誠実に協議を行ったか。
これら4つの要素をすべて満たさなければ絶対に無効になるというわけではありませんが、裁判所はこれらの事情を総合的に見て、解雇が「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」場合には、その解雇を無効と判断します。
契約社員・パートの「雇止め」で注意すべきこと
契約社員やパートタイマーといった有期雇用契約で働く従業員についても、慎重な対応が必要です。
契約期間の満了をもって契約を終了させることを「雇止め」といいますが、これも無制限に認められるわけではありません。
特に、以下のようなケースでは、雇止めが無効と判断される可能性があります(雇止め法理)。
- 契約が過去に何度も更新されており、実質的に無期契約と変わらない状態になっている場合
- 従業員が「次の契約も更新してもらえるだろう」と期待することに合理的な理由がある場合
このような状況での雇止めは、実質的に解雇と同じように扱われ、前述の整理解雇と同様に、客観的で合理的な理由が必要とされます。
安易な雇止めは避け、契約更新の際には面談の機会を設けるなど、丁寧なコミュニケーションを心がけましょう。
不当解雇と判断された場合の事業主のリスク
もし、行った解雇や雇止めが裁判で「不当解雇」として無効と判断された場合、事業主は深刻なリスクを負うことになります。
まず、解雇期間中の賃金(バックペイ)を遡って支払わなければなりません。裁判が長引けば、その金額は数百万から一千万円以上になることもあります。
さらに、不法行為と判断されれば、慰謝料の支払い義務が生じる可能性もあります。
金銭的な負担だけではありません。「従業員を不当に解雇する会社」という評判が広まれば、企業の社会的信用は失墜し、採用活動や取引にも悪影響を及ぼしかねません。
このようなリスクを回避するためにも、雇用調整を検討する段階で、事前に弁護士などの専門家に相談することが極めて重要です。
見落とされがちな従業員のメンタルヘルスケア
パンデミック下では、業績や法的手続きといった目に見える問題だけでなく、従業員の心の健康にも目を向ける必要があります。感染への不安、テレワークによる孤独感、将来への心配などから、多くの従業員が強いストレスにさらされています。
従業員のメンタル不調は、生産性の低下や休職・離職につながるだけでなく、事業主が安全配慮義務を問われる可能性もあります。事業主ができることとして、以下のような取り組みが考えられます。
- 定期的な1on1ミーティングなどで、コミュニケーションの機会を確保する
- 産業医や外部カウンセラーと連携し、気軽に相談できる窓口を設ける
- メンタルヘルスに関する情報提供や研修を行う
従業員が安心して働ける環境を整えることは、長期的に見て会社の持続的な成長に不可欠な投資と言えるでしょう。
次のパンデミックに備える|平時からできる労務管理
今回のパンデミックでの経験は、多くの事業主にとって、平時からの備えがいかに重要であるかを痛感させるものだったはずです。
危機は、いつまた訪れるか分かりません。この経験を教訓とし、次のパンデミックや新たな危機に備えるための労務管理体制を構築しておくことが、企業のリスク管理において極めて重要です。
具体的には、テレワークや時差出勤に関する規定を就業規則に盛り込んでおくことや、緊急時の連絡体制、事業継続計画(BCP)を策定しておくことなどが挙げられます。
問題が発生してから場当たり的に対応するのではなく、事前にルールや計画を整備しておくことで、いざという時に迅速かつ適切な判断が可能になります。
弁護士は、こうした平時からの就業規則の見直しや、緊急時に備えた労務管理体制の構築についても、専門的な知見からアドバイスを提供できます。
まとめ|労働問題は早期に弁護士へ相談を
パンデミックという未曾有の事態において、事業主の皆様が直面する労働問題は、一つひとつの判断が非常に難しく、法的に複雑な論点を含んでいます。
良かれと思って下した判断が、意図せず法に触れてしまい、深刻な労使トラブルに発展してしまうケースも少なくありません。
そうなれば、企業は金銭的にも信用的にも大きなダメージを負うことになりかねません。
そうした事態を避けるために最も大切なことは、一人で抱え込まず、問題が深刻化する前に、労働問題に詳しい専門家である弁護士に相談することです。
当事務所は千葉市に拠点を置き、15年以上にわたり中小企業の経営者様が直面する労務問題に関するご相談に対応してまいりました。
皆様の状況を丁寧にお伺いし、個別の事情に応じた法的な助言を提供いたします。
どうぞお気軽にご連絡ください。皆様の事業運営の一助となれるよう、尽力いたします。
もしお困りでしたら、早川法律事務所へのお問い合わせはこちらからご相談ください。



